三池炭鉱三川電鉄変電所の変遷2

 昭和20(1945)年の航空写真では、建物の西側三分の一ほどの屋根の色が違っているので、その部分が明治42(1909)年からの当初の部分で、東側三分の二ほどが増築ではないかと推察したのですけど、つじさまからのご指摘により、西側にも、東側にも増築されていると考えるのが妥当と判明しました。

 上の画像はつじさまがBBSに貼られたものです。赤枠が当初〜大正15年地形図の時期のもので、それに黄色枠の部分が更に増築されたと考えるのが妥当とのこと。

 BBSでのやり取りの後、つじさまの考察をより明確に裏付ける画像に接しました。上の画像がそれで、これで見ると東側も西側も屋根の色が真ん中部分とは明瞭に相違しています。真ん中部部の屋根がくすんだ感じであるのに対して、東及び西はピカピカの葺材で覆われています。この画像は撮影時期が不明ですが、これらの状況を勘案すると、大正15年より後、昭和20年より前の増築直後と特定できそうです。

 ed731003さま、つじさま、そのほか多くのみなさまのお蔭で、長年の疑問が次々と解明に向かいました。ありがとうございました。以上の考察へのご批判もあろうかと存じますので、BBSにご意見書き込んでいただければ幸いです。なお、以上の考察を是としても残された課題はまだまだあります。 @最初の増築は南だったのか北だったのか?(M42画像と現建物南面の特徴の合致を考慮すると北への増築と考えたいところですが…) A大正15年地形図の時期の建物画像の発見。 B東西への増築時期の絞り込み(東西同時?東西で時期差?) C現建物における増築痕跡の発見 などです。これらについてご存知の方は是非お知らせくださいm(_ _)m

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