三池炭鉱三川電鉄変電所の謎?2

 

 ところが、ed731003さんのお薦めで、明治42(1909)年に陣内三省堂により刊行された「大牟田案内」を手にしたところ、衝撃的な写真が掲載されていました。上の画像がそれです!四山発電所を写したものですが、南南西(恐らく三池炭鉱専用鉄道高架盛土の上)から撮られているため、手前に三川電鉄変電所(当時は四山変電所と呼ばれていた筈)が写り込んでいるのです。ご覧のとおり、意匠的には現在の建物と同一ですが、規模はかなりコンパクトです。

 まず、現在は二棟連接構造ですが、一棟です。南面の上部アーチの開口部が現在は8つ並んでいますが、この写真では3つしか見えません。建造された直後はこのような姿であったと理解せざるを得ません。発電所本体も後には煙突が4本になります(下の画像参照=上の画像とは反対の北側からの景)が、この時まだ2本しか見えません。

 これを認めても、大正15年の地形図の平面形状とは異なります。この建物だと平面形はやや東西に長い長方形でしょう。そうすると、この時から大正15年までの27年の間にこの南(もしくは北)にもう一棟が連接増築されて二棟構造となったことが考えられます。さらに、「大牟田の空襲を記録する会」がお持ちの昭和20年5月に米軍が撮った航空写真を見せていただくと、現在の形になっているので、大正15年からそれまでの20年の間に、さらに東に大きく増築されたことになります。

 今回新たに明治42年の「大牟田案内」の写真を見たことから、自分の中では長年の疑問が氷解したような気分になっておりますが、明確な証拠のない推測の部分も多いので、異論もあろうかと存じます。様々ご意見をお寄せいただければ幸いです。(H27.4.19識)

三川電鉄変電所の変遷

戻る(三川電鉄変電所のページへ)

戻る(大牟田の近代化遺産トップ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

H27.4.19UP

H27.5.25変遷ページへのリンク設定

[★高収入が可能!WEBデザインのプロになってみない?! Click Here! 自宅で仕事がしたい人必見! Click Here!]
[ CGIレンタルサービス | 100MBの無料HPスペース | 検索エンジン登録代行サービス ]
[ 初心者でも安心なレンタルサーバー。50MBで250円から。CGI・SSI・PHPが使えます。 ]


FC2 キャッシング 出会い 無料アクセス解析